私ほどつまらない者はいない。 しかし、こんな私でも人様のお役に立つことが出来るのであれば、どんな事でもさせて頂きたい、という謙虚な心。 出来ることをさせて頂きたいという前向きな心で下から這い上がっていく。 この気持ちになれば、どんな事でも言えるはずです。 この人を助けずにはいられないという気持ちが湧いてくるから、遠慮はいらないのです。...
人間というものは、失敗と恥のかき通しです。 その為には、子供の頃から負ける練習、失敗の練習、恥をさらす練習をさせておく。 そして負けたら強い人間に、失敗に強い人間に、恥をさらすことを恐れない人間に育ててやることです。 私達人間は、何か失敗や落ち度があると、どうしても弁解や言い訳をします。 なぜでしょう?...
人間は、肉体を病み患うと、心も病気になってしまいます。 心に激しいショックを受けたり、悩み苦労を持ち続けると、肉体に支障をきたして病気になってしまいます。 一度に髪の毛が白くなったり、シワが出てきて老け込んでしまうのは、極度の精神疲労のせいなのです。...
人間は神様の身体の中で生きています。 山も海も大地も空気も、水や太陽の光もみな、神様からお借りしている身体です。 ですから、立木を切る時は「切らせていただきます」と、親神様にお断り致しましょう。 水は「天からのもらい水」です。 食べ物も「天の恵み」です。 食事の時は「いただきます」と言ってから食べます。 神様からごはんをいただくのです。
人間はとかく他人を見て通りたがるものです。 だから行く先を誤りやすいのです。 正しい道を通るためには、他人を見て通るのではなく、神様を見つめて通る心が大事なのです。 神様がいることを信じ切るほどに、心が澄み切って、純白になっていきます。 皆、他人のために信仰しているのではなく、自分のために信仰しているのです。...
お掃除ができることは幸せなことです。 なぜならば、元気でこの手足が動き、親の手助けができる子供は親孝行だからです。 親孝行というものはお掃除だけはでなく、いつも日々心から感謝をし、率先して自分達のできることはないか、どのようにしたら親に感謝ができ、恩返しができるか、ということをいつも心に思って通ることです。...
十年先の自分を想像してください。 四十歳の人は五十歳になった時です。 五十歳の人は六十歳になった自分を想像してみてください。 今六十歳の人は、十年後の七十歳になった時どうなるかです。 十年先の顔の疲れ、十年先の世の中の移り変わり、十年先の離れ行く子供達、十年先の体の弱り方などを考えてみてください。...
信仰にも日進月歩の歩みがなければなりません。 ひとつ古い殻を突き破ったら、それで終わりではないのです。 そこからまた新たなる目標を見出し、心を定め、またその殻を突き破り進んでいくことが必要なのです。 助けてもらうのをただ待つだけではなく、助かる道を自ら進んでいくのであります。
何事も中途半端というものは味気ないものです。 せっかく一つの目標に向かって進んでいきながら、途中で挫折してしまってはそれまでの努力が空しいものになってしまいます。 水の泡のごとく跡形も残らない、これ程つまらないものはありません。...
何事も中途半端というものは味気ないものです。 せっかく一つの目標に向かって進んでいきながら、途中で挫折してしまってはそれまでの努力が空しいものになってしまいます。 水の泡のごとく跡形も残らない、これ程つまらないものはありません。...