昭和63年主人と縁があり結婚をしました。
そして義父と義母との同居が始まりました。
義父は11人兄弟の長男として産まれました。
7人の弟・妹は幼くして死別したそうです。
世の中がそうであったように義父も私には想像も出来ないような大変な時代を過ごしてきたそうです。
義父は溶接の仕事をして家族を養い一家の長として3人の子を育て、皆から頼りにされ又兄弟からも慕われていました。
義父は小柄でしたがとにかく働き者でした。
75歳で溶接の仕事を辞めてからは野菜作りに精を出しおいしい野菜を食卓に運んでくれました。
そんな義父が87歳の時に急にお腹が痛くなり救急車で病院に運ばれました。
先生の診断は身体の中にガスがたまっていて、そのガスがどこから出たのかわからないのですぐに手術をしないと危ないという事でした。
高齢である事や原因がわからない事など心配はたくさんありましたが、無事に手術を終える事が出来ました。
原因は胆嚢にあったようで、胆嚢を切除する事で命を救ってもらいました。
手術後も先生が驚くくらい順調に回復し、2ヶ月で退院する事が出来ました。
何故義父がこのような手術をしなければならなかったのか不思議親神様に相談させていただきました。
私達の住んでいる土地は私の実家の土地を譲ってもらったものです。
この土地には実家の先祖様方の深い思いがあって、嫁ぎ先の先祖様は実家の先祖様に対して肩身の狭い思いでずっとおられたそうで、実家の先祖様に対しての申し訳ない気持ちを義父が手術をし、つらい思いをすることで帳消しとなり、これで両家は平等になったと教えていただきました。
この「帳消し」は、もしかしたら夫だったかもしれません。
又息子だったかもしれません。
義父が自分の身を犠牲にして家族を守ってくれた事を知った時、私は義父に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
不思議親神様に教えていただかなければ義父の病気の根本の原因がわからない、私にとっては手間のかかる面倒な事だったと思います。
それまで義父に対してあまり感謝する事をしてこなかった私でしたが、この事を機に義父に対する思いを変える事が出来ました。
不思議親神様のお陰です。
義父は退院してからも手術をした事が嘘のように元気になりました。
そんな義父が93歳の時に体調を崩し25日間入院しました。
先生の診断は老衰なのでいつ何があってもおかしくないというものでした。
日に日に弱くなっていく義父の残り少ない日々を満足していってほしいと思い、どのような心を向ければよいか不思議親神様に相談しました。
不思議親神様は弱った義父をかわいそうと思うのではなく、これまでの義父の人生に感謝してよく看てやりなさいと教えてくださいました。
それからは義父の人生を振り返り、
義父に助けてもらった事、
教えてもらった事、
義母を一生懸命に看病した事、
まじめに一生懸命働いてくれた事、
9人の孫達に嬉しそうにお年玉をあげていた事、
兄弟を全員見送った事などを話しかけ義父の人生に感謝しました。
そして血圧が下がり危険な状態になりながらも家を離れて生活していた孫(私の長男)が来るのを息も絶え絶えになりながら最後の力を振り絞り待っていてくれました。
息子が病院に着いて「おじいちゃん、帰ってきたよ」という言葉を聞いて安心したかのように安らかに93年の人生に幕を下ろしました。
義父は最後の最後まで家を守り繋いでいく事を自分の身をもって私達に、そして息子に教えてくれたと思います。
義父がいなくなってから遺品の整理をしたのですが、いつも乗っていた自転車だけが何年経っても捨てられずにいたので不思議親神様に相談しお焚き上げの供養をしていただきました。
不思議親神様は自転車だけでなく義父のこれまでの苦しみや辛かった事や悲しかった事までも全部引き取ってくださいました。
人は死んでも生きていた時の思いはそのままあの世に持っていくそうです。
義父は不思議親神様のお陰で苦しみがなく、あの世で修行に励んでいる事と思います。
義父の人生は辛い事の方が多かったと思いますが、新しく生まれ変わるための霊界での修行が苦しみのない事はこの上ない幸せだと思います。
これも不思議親神様のお陰です。
義父が繋いでくれたこの家を私達が守り繋いでいく事が義父にも不思議親神様にも恩返しだと思っています。
(60代 女性)