長男の嫁として

夫は豪雪地帯の農家の6人姉弟の末っ子の長男として生まれました。

冬になると義父は出稼ぎに出ていましたが、とても生活が大変だったため、夫は高校卒業後、農家を継がず、雪の少ないところに出て、飲食店に就職しました。

 

私達が結婚して数年たった頃、独立して店を出す事にしました。

頭金もなかったので、ローンを組み、小さいながらも店舗付きの家を建てました。

 

ちょうどその頃、義父は年齢を理由に出稼ぎ先が見つからず、生活が苦しくなり同居することになりました。

同居生活は覚悟していた以上に大変でした。

 

義父はとにかく見栄っぱりで、義父母が入った老人会の人達から、

「親にお店を建ててもらって幸せだね。お宅のおじいさん、おばあさんが自慢していたよ」

と言われ、

「なんでそんなウソをつくんだろう。夫婦で働いて店を切り盛りし、毎月ローンを返済して、義父母にお小遣いをあげてたのに」

と悔しくなりました。

 

 

子供を産んで、店が忙しい時は子守りを頼んでいたのですが、何かと二言目には

「他人だから」

と、私に言う義母に

「子供は自分が立派に育てるから、あんたは仕事さえしていればいい」

と言われ、夫に話すと

「いいじゃないか、やりたいと言っているんだから子供の事は全部任せて仕事に専念すれば」

と言われたのです。

「それでも父親?」とケンカになりました。

自分で産んだ子を育てたいと思うのは当然の事だと思います。

そして、翌朝起きると白目が真っ赤になっていました。

ストレスで眼底出血をしたのです。

鏡を見て気持ち悪くなってしまう程でした。

限界でした。

私は子供を連れて実家に帰りました。

もう義父母のいる家には戻りたくないと強く思いました。

あの環境では子供にとってもよくないと思い、離婚するつもりでしたが、夫から義父母は出すから戻って来てほしいとお願いされ、悩みましたが、子供の事やお店の事など色々考えて戻ることにしました。

 

義父母はアパートに引っ越し、別居しました。

やがて義父が亡くなり、義母は一人暮らしをしていたのですが、高齢になり一人で暮らすのが難しくなってきて、お義姉さん達と話し合いました。

「ウチで面倒みる」と長姉(一番上の姉)が言ってくれた時は、今までのいきさつがあった私はホッとしました。

その後、不思議心霊親神様にご縁させていただき、インターネットで相談させていただきました。

 

不思議心霊親神様は「どんないきさつがあっても親は親、子はその下、親をたてなさい。

親の面倒をみるのは当然の事」と教えていただき、ハッとしました。

 

それまで私は、「子供をあてにして経済的に全て依存してくる事が親のする事なんだろうか。どうしてウソをついたり、子育てに口を出したりするんだろう」と自己中心に考えていましたが、義父母も慣れない土地に来て、地元の方達に気を遣い、子供の世話になっている事を言い出せずにいて大変だったのだと思うようになりました。

 

当時の私は狭い心で思いやりがなく、言われた言葉通りに受け取って恨んでしまいました。

親をたてる事もしないで、わがままで自分勝手だったと反省し、お義母さんとお義姉さんに、「今まで申し訳ありませんでした」とお詫びしました。

お義母さんとお義姉さんは「すんだ事だし、わかってくれればいい」と言ってくれましたが、ずるずるとそのままずっとお義姉さんがお義母さんをみてくれした。

 

お義姉さんから、年を取り1日の大半を寝ている状態になっているお義母さんの面倒をみる事が大変になり、施設を探したいと相談されました。

 

私はまた不思議心霊親神様にメール相談させていただきました。

不思議心霊親神様は、「長男に嫁いできたのに長男らしい事をせずにいた。長男の嫁として今までの分、充分親をよくみて通りなさい。今からでも遅くないので、親をよくみなさい。そして、その姿を子供にもみせなさい」と教えていただきました。

 

私はお義姉さんにずっとお義母さんをみてもらっていたのは間違っていたと反省し、夫に「長男なのに今までずっとお義姉さんに任せっぱなしで、お義母さんをみてなかったのだから、これからはみさせていただこう」と伝えましたが、夫はお金がかかると逃げ腰だったのです。

「お金なんて関係ない、長男の役目をしっかりやらせていただこう」と説得しました。

 

家ではもうみられる状態でなくなっていたので、施設を探し始めました。

不思議心霊親神様から「親をみることに本気になりなさい」と教えていただいていたので、知人に聞いたり、施設をまわったり、インターネットで調べたりと一生懸命探しました。

 

すると自宅近くの施設から「空きができましたので、入所できます」と連絡をもらいました。

不思議心霊親神様が自宅から一番近い施設をすんなり決まるようにおはからい下さったのだと感謝しました。

 

施設に入所したお義母さんは、職員さんはじめ同室の方達となごやかに過ごしていましたが、1ヶ月もたたないうちに食欲がなくなり、ほとんど食べなくなったと連絡があり、心配していたのですが、2,3日後に急に血中酸素濃度が低くなり救急搬送されました。

 

入院してから5日後に主治医から「症状の説明があります」と呼ばれ、不安な気持ちで夫と行ったのですが、「容態が安定しましたので、これからMRを撮って異常がなければ退院を考えましょう」と説明を受けている途中で、看護師さんが「急変しました。意識がありません」と来たので、何があったのかわからずに、私達は待合室で待つしかありません

でした。

 

しばらくして看護師さんから「とても危ない状況だから連絡したい方がいたら今のうちに連絡して下さい」と伝えられました。

1時間ぐらいすると一番上のお義姉さんが来てくれました。

一緒に待っていると「会っていいですよ」とお義母さんのところに案内されました。

お義母さんは意識がなく荒い呼吸をしていました。

お義姉さんが「ばあさん、わかる? 私だよ!」と手を握って話しかけても反応がありませんでした。

夫も手を握って「オイ、会いに来たよ!」と話しかけると、お義母さんはパッと目を開け、夫の方を向きました。

それから目を閉じて呼吸が止まりました。

 

あの時、お義母さんと目が合ったと夫は今でも言います。

きっと長男がむかえに来たとわかり、安心してくれたのかなと思います。

 

お義母さんが長男のところに戻るまで、命を日延ばししていただいた事、最後に会わせていただけて、お義母さんを安心させていただけたのも、全て不思議心霊親神様のお陰です。

感謝しかありません。

 

そして、お義母さんは病院からうちに帰ってきて、長男としてお葬式を出させていただけました。

 

不思議心霊親神様に教えていただかなかったら、きっと私は自分の思うままにして、長男の嫁として何もしないで、お義母さんの事をそのままお義姉さんに全て任せてしまって、長男であるウチでやらず、嫁に出たお義姉さんのところからお葬式を出すなんてとんでもない間違いをするところでした。

寸前のところでご先祖様からのタテの線を真っ直ぐに正しくつながるようにしていただき、感謝してもしきれません。

そしてお義姉さんにずっとお義母さんをみていただいた事を感謝して、恩返しをさせていただこうと思っています。

 

自分の思うように通っていたため、間違った道を通っていましたが、不思議心霊親神様のお陰で正しい道にもどしていただきました。

心から感謝しています。

 

教えていただいた通り、先祖様からの1本の線がこれからも正しくつながるように、私みたいに自分勝手にならないように子供に伝えていきたいと思います。

 

(60代 女性)