私は結婚をしてすぐには子供が授からず早く子供を授かりたいという思いがあり、どうすれば子供が授かるのか不思議心霊親神様にメールで相談をしました。
不思議心霊親神様は私が暖かい思いやりのある心になることを教えてくださいました。
夫や義理の両親に心を向け、仕事の忙しい夫にはお弁当を作ったり身体のことを心配したりと気遣い、義理の両親には料理を作ったものを渡したりと相手のことを思いながら毎日過ごしていました。
そして1年が過ぎた頃に子供を授かりました。
不思議心霊親神様のおかげです。
本当に私はうれしく大喜びでこんなに幸せなことはないくらいの気持ちでした。
不思議心霊親神様に感謝しかありません。
夫や義理の両親、実家の両親もみんな大喜びで私やお腹にいる子供のことをいつも気遣ってくれていました。
十月十日を私のお腹の中で元気にすくすくと育ってほしいと子供のことを思い、よく話しかけながら毎日過ごしていました。
産婦人科の定期検診も母子共に順調でした。
しかし、9ヶ月目に入った頃、血圧が少しずつ高くなり、10ヶ月目になった頃には、すぐに入院になってしましました。
産婦人科の先生から「血圧が高くなるとお腹の子供の呼吸が苦しくなるので、2,3日後に促進剤で出産をする」と言われました。
あまりにも急なことで驚き、不安で一杯でした。
お腹の子供は大丈夫なのだろうか、無事に産まれてくるのだろうかなど、いろいろな感情がわいてきて不思議心霊親神様にどうかお腹の子供が無事でいますようにと祈っていました。
しかし、入院をした次の日の夜、血圧がかなり上がってしまい危険な状態だったので、私は大きな病院へ救急車で運ばれ急きょ帝王切開で出産することになりました。
とても不安で苦しくお腹も痛かったので子供だけは無事でいてほしいと強く思っていました。
帝王切開は部分麻酔だったので元気な声で泣き体を一生懸命に動かしている我が子を見た時はほっとして、無事に産まれてきてくれたことに感謝と、やっと会えたという思いで涙が止まりませんでした。
本当に不思議心霊親神様に感謝しかありませんでした。
親にとって子供が元気に無事に産まれてきてくれることほど、こんなにうれしいことはありません。
しかし、その後の私の体調はなかなか元に戻りませんでした。
血圧は高いままで、帝王切開した後の状態が悪く、薬の副作用で下痢になり食事もできませんでした。
そして急に血圧が下がり貧血になってしまい立ち上がることもできずにいました。
私は、とても危険な状態だったので緊急の救急医療ができる病院へ再び救急車で運ばれました。
とても怖かったです。
体調が悪く子供をまだ抱くこともできず、母乳もあげられずにいたので、絶体に私は死なないという強い思いでいました。
そして私は再び手術を行い、目が覚めた時には集中治療室のベッドの上で人工呼吸器をつけられ、両手は点滴、足は固定され動かすこともできず、一体何が起きたのだろうかと驚いていました。
病院の先生の話では「人工呼吸器は苦しいから2,3日意識をなくす薬をいれて目がさめたんだよ」と言われました。
私は生きているんだとわかり、ほっとしました。
不思議心霊親神様のおかげです。
本当に感謝しかありません。
しかし、人工呼吸器はとてもつらく苦しく、特に痰の吸引はとても痛く耐えられるものではありませんでした。
本当に苦しくつらかったです。
そして私は別の病院で入院をしていたので、子供に母乳をあげられず、抱くこともできなかったので、とても悲しく一人にさせてしまった子供のことが気がかりで申し訳ないという思いで一杯でした。
2週間がたち、ようやく私は退院することができ、子供がいる病院へすぐに行き初めて我が子を抱きしめました。
本当に可愛いくて体は小さくやわらかくミルクの香りがして、とても愛おしくさまざまな感情があふれ出て涙が止まりませんでした。
とても幸せでした。
生きていること、我が子を抱けたことは本当に不思議心霊親神様に感謝しかありません。
そしてこの苦しくつらい体験について不思議心霊親神様にお聞きしました。
私はあの時あのまま命を落としていたと教えて頂きました。
それを不思議心霊親神様が私の命を助けてくれたのです。
もし、私があのまま死んでいたら我が子を抱くこともできす、子育てもできず死んでも死にきれない思いでいたと思います。
私はあの時、死にたくない、子供を抱きたい、ひと目見たいという強い思いでいましたが、不思議心霊親神様が助けてくれなければ命を落としていました。
本当に感謝しかありません。
こんな私を助けてくれたこと、子供を抱き子育てもできること、夫や子供がそばにいること、それだけでありがたく、命があるからこそいろいろなことができるありがたさに気づくことができました。
私は不思議心霊親神様に感謝してもしきれない程、助けて頂きました。
これからは自分のことではなく誰かのために役に立つことをして日々感謝をしながら通っていきたいと思います。
(40代 女性)