信仰にも日進月歩の歩みがなければなりません。 ひとつ古い殻を突き破ったら、それで終わりではないのです。 そこからまた新たなる目標を見出し、心を定め、またその殻を突き破り進んでいくことが必要なのです。 助けてもらうのをただ待つだけではなく、助かる道を自ら進んでいくのであります。
こんな事を神に願うのは、幼稚な信仰です。 なぜなら次第に信仰が進んで来たら、すでに助けられている事が分かってくるからです。 自分が限りない恵みに守られている事をはっきりと知るようになります。 これが信仰の有難さなのです。 ひたすらに報恩の道を喜んで進む 神の心に添う道を進む そうすると心が明るく、踊ってきます。 自分の事は何も求めない。...
神様におすがりしていれば医者にもかからない、薬もいらないなどと極端なことを言う人もいますが、それは間違いなのです。 医者も薬も神様が与えて下さったものなのです。 医者は身体の修理のために、薬は身体の肥しのために与えて頂いています。 傷んだところは修理してもらわなければならないし、身体が衰弱したら滋養を取ればよいのです。...
信仰の姿は合掌の姿です。 左手と右手を胸の前、身体の中心の所で合わせます。 左手が神様の守護、右手が自分の努力という意味です。 この二つがぴったりと合ってこそ物事が成就し、手が鳴り、拍手喝采の理となります。 それが人間の方で努力を怠っていたらどうにもならないのです。 手が合わなければ音も鳴る訳もなく、拍手喝采で喜ぶこともできないのです。...
ただ神様助けて下さい。ではなく、自分がやってきた行いを分かって(理解して)お詫びをするから助けて下さい。と神様にお願いする。 子孫が先祖を思わなければ、先祖も子孫を思ってくれないし、助けて(守って)くれないです。 親神様が教えてくれた前世でやった事をまず認める所から始まります。 ※親神様に遠慮なくお尋ね下さい。
私達は困った時によく神様にお願いをします。 助かりたいので助けて下さい。とお願いしますが「人を助けて我が身助かる」と教えて頂いております。 困ったからといって、ただ神様にどうか助けて下さい、と拝んでいるだけでは助からないという意味です。 先に人に施せば自分に返ってくるのが、この世の理という事を、よく心に収めたならば実行できるはずです。...
人は順調に進んでいるときは自惚れているものです。 自分の力を過信し、自分に頼るでしょう。 ところが、壁にぶち当たると、 「自分の力だけでは、どうにもならないことがある」と気付くでしょう。 挫折を知り、苦しみを知らなければ強い人間にはなれないのです。 「苦しみ」「悲しみ」「失敗」「負け」を知ってこそ、幅と厚みのある人間に成長できるのです。...
自分の意志とは全く無関係に親の考えで闇から闇に流された水子さんの霊は生まれ変わることがとても難しいのだそうです。 このような水子さんは、暗い所でゆらゆらと浮いた状態でいるのだそうです。 それは「想い」をもらえないからだそうです。 「想い」をもらえると光がそこにあたり、その光が大きくなるとその浮いた状態から出ることが出来るのだそうです。...
貴方は事故現場や道路などにお花を供えてある前を通ったり、手を合わせたりした事がありますか? 事故現場にお花やお供物を供え、手を合わせる時や前を通る時に、その亡くなった方が死を認めその場にとどまらず自宅に戻り、霊界で修行し一日も早く生まれ変われる様にという心で手を合わせる様に不思議心霊親神様に教えて頂いています。...